夢うさんブログ ~自然が好き~

森林セラピーガイドで茶道家、写真撮影大好きな”むうさん”による、自然体感レビューブログです

【写真で綴る】原爆ドームと広島平和記念公園、そして広島平和記念資料館

こんにちは むうさんです^^

広島市へ旅行に行ってきました。厳島神社やしまなみ海道は観光地として、とても楽しく、写真映えもする場所でした。なにより、厳島神社は修繕が昨年末に終わって、大きな鳥居が姿全体を見せてくれていました。

そのような楽しい旅行でしたが、旅行最終日に、原爆ドームと広島平和記念公園、平和記念資料館に初めて行き、戦争が多くの人から、何もかもを奪っていってしまったことを実感しました。

今回は、原爆ドーム広島平和記念公園、そして広島平和記念資料館について写真で綴って行きたいと思います。

原爆ドーム、広島平和記念公園の場所

広島へ初めて行ったのですが、原爆ドーム、広島平和記念公園などは場所が隣接しているので、歩いて回れるようになっています。

▼地図

原爆ドーム、広島平和記念資料館、広島平和記念公園の地図

原爆ドーム原爆の子の像平和の灯原爆死没者慰霊碑広島平和記念資料館と周ってきました。

原爆ドーム

原爆ドームは、その姿を見ただけで、一瞬たじろぎます。

原爆ドーム

正面から見ると、ニュースで見たことのある姿で、悲惨さについて自分が受け止める想定内でした。

ただ、ニュースに映る姿と、実際に見るのとでは、全く違いました。

建物そのものではなく、建物の中や外に落ちている瓦礫は、私の想定を超えていて、えっと思わせ、真の悲惨さを感じさせられました。

原爆ドーム

建物の中は、剥がれ落ちた壁やレンガの破片などで、埋め尽くされていました。

原爆ドームの瓦礫

このような破壊的な姿が、この場所にあった凄まじい現実、悲しすぎる過去の事実を、伝えていました。

もともと、原爆ドームは、チェコの建築家が設計した建物で、広島県産業奨励館だったとのことです。

原爆ドームと当時の姿

上の写真の右にあるような立派な建物でした。今の姿を見ると、レンガ造りの重厚な建造物が、大破していることがわかります。

原子爆弾は、この建物の南東約160メートルの上空約600メートルで炸裂しました。一瞬の出来事だったようです。
実際に、館内にいた全員が即死したとのことです。

原爆ドームの鉄の骨組み

レンガの表面は焼きただれ、骨組みだけが突き出して残っています。

今現在は、世界平和のシンボルとしてユネスコの世界遺産一覧表に登録されています。

原爆ドームと元安川

原爆ドームの前には、原爆が爆発した際に、多くの人が火傷を負った熱さから逃れる一心で飛び込んだ川、元安川があります。

川面全体に死体が浮いていて、亡くなった人々を川から回収するの道具があったほどです。その道具が平和記念資料館に展示されています。

広島平和記念公園

平和記念公園のGoogleMap

広島平和記念公園は、元安川と本川の間の中洲にある公園です。

▼GoogleMap 

原爆ドームから、元安橋で元安川を渡って行きます。

原爆の子の像

幼少の頃に被爆して生き残った女の子が、10年後に白血病で亡くなりました。それを機会に、原爆でなくなった全ての子どもたちのために慰霊碑を建てようということで、できたとのことです。

原爆の子の像

原爆の子の像も折り鶴があり、像の下にも折り鶴の鐘があります。

原爆の子の像の鐘

これは、亡くなった女の子が、「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じて、鶴を折っていたからです。

その折り鶴の実物が、平和記念資料館に展示してあり、折り鶴がどんどん小さくなっていて、最後の方は、ゆうに1円玉に収まる大きさでした。

こんな小さいのを折ることができるのかという、とんでもなく小さい折り鶴であることが、尋常でないことが起こっていること、その子の生きたいという願いを物語るようで、展示の前でしばらく足を止めていました。

折り鶴を持ってきて納める場所があり、この日も幼稚園児たちが折り鶴を持って来ていました。

平和の灯、慰霊碑そして資料館

この平和記念公園に入ると、平和でない状態があってはならないという、日常は感じない、別次元での感覚が生まれてきます。

その感覚を生む一つが平和の灯です。

平和の灯

1964(昭和39)年に点火されて以来ずっと燃え続けています。台風が来ても消えないような構造と技術を使っているようです。

後ろを振り向くと、原爆ドームがこちらを見ているかのように、その姿があります。

平和記念公園からみる原爆ドーム

そして、平和の灯の先には、広島平和記念資料館があります。

平和記念資料館

ここには、広島で原爆で亡くなった方、被爆して身体が不自由になった方、得体の知れない痛みを背負った方など、戦争で人々の生活が壊れていく姿が残されています

そして原爆が落とされた当日は、建物疎開(空襲の延焼を防ぐために、建物を壊して空き地をつくる)の日で、それに動員された多くの子どもたちが、原爆で悲惨な姿で亡くなる様、蝕まれる様が綴られています。

1945年末までに、14万人の方が、広島原爆で亡くなったとのことです。

原爆死没者慰霊碑

原爆死没者慰霊碑の前には、幼稚園児が来ていて、手を合わせていました

撮影機材

カメラ:CANON EOSRP

カメラはフルサイズミラーレスカメラで、軽くて旅行に持っていくのに最適な『CANON EOSRP』です。

撮っていて楽しく、フルサイズのボケも活かせるカメラです。下の記事をご覧ください。

レンズ:EF24-70mm F2.8L II USM

レンズは、綺麗な写りをする、キヤノンの誇るEFの標準ズームレンズ『CANON EF24-70mm F2.8L II USM』です。

F2.8なのでボケも活かせ、写りも綺麗な頼もしい相棒です。下の記事をご覧ください。